地図でサハリン島全体を見渡すと、南北に長い島の輪郭は魚の姿に似ている。魚がすぐに連想されるほど、サハリンはオホーツクからの海の幸に恵まれ、漁業は昔からの主要な産業になっている。
中でも鮭鱒は別格であり、そのシーズンともなればオホーツク沿岸の各河川の河口付近では、ロシア語でネヴォドと言われる漁網(棒網)が仕掛けられる。この時期にオホーツク海沿いの道路を行き来すると、河口付近では小舟に乗った漁師達が漁網を引き上げている風景をよく目にする。島内には多数の河川が流れており、海から離れた川沿いの町や村も遡上する鮭鱒で活況を呈する事になる。 |

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そんな季節に僕はサハリン島のほぼ中央部、オノールという小さな村にいた。この村のそばにはオノルカ川が流れている。オノルカ川はポロナイ川の支流であり、ポロナイ川はポロナイスク付近でオホーツク海へ注いでいる。鮭鱒は川の流れと逆の方向にポロナイ川を遡上し、南から徐々に様々な支流に入り、やがてオノルカ川へも遡上を開始する。この時期は川を渡るたびに川面をながめ、鮭鱒の遡上を確認するのも楽しみの一つである。川面は遡上する魚で溢れかえり、その様子を見るだけでも何か満ち足りた気分になれるからだ。僕がいた頃、ポロナイ川本流ではだいぶ前から遡上が確認されていたが、しかし何故かその支流のオノルカ川では本格的な遡上はまだだった。
こうなると野次馬根性というのであろうか、オノルカ川をポロナイ川方面へ下って様子を見たくなった。幸い、小さな自動車道はオノルカ川に沿って続いていた。その自動車道からオノルカ川へ入る小道が多数あり、車を停めて、そんな小道の一つに入ってみた。数十メートル歩いて、すぐにオノルカ川の川岸に出たが、水深は案外浅く、川幅もそれほど広くはなかった。熊の出没を警戒し、すぐに車へ戻ろうとしたが、川の50m程前方で、大きな魚が飛び跳ねているような光景を目撃した。熊に対する恐怖心があったが、遠くに人の話し声も聞こえ、その声に勇気づけられ、魚が飛び跳ねている方向へ向かった。そこで目撃したのは川を遮るように張った網で、密漁の現場だった。
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遡上しようとしている魚群が網に遮られ、それらの魚はもがき、泣き叫んでいるようでもあった。とっさにその網を引き壊した。魚群はそれを待っていたかのように、壊れた網を通過し、遡上していった。
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その時、同行していたドライバーが、「ここは危険です。すぐに車へ戻りましょう。」と言った。遠くで聞こえた話し声は、姿は確認出来なかったが、密漁者達の声だったようだ。彼らは、捕まれば厳しく罰せられるリスク、熊と遭遇するリスクを踏んで密漁をしており、猟銃で武装しているのは当然であろう。十年ほど前にカムチャッカで大規模な密漁グループが摘発された事があったが、大樽で何個ものイクラを製造していた。普通、こういう場合はイクラを取った後の魚体は棄ててしまうようだ。このグループは軽機関銃で武装し、道路で検問していた警察官も怖がって手を出せないでいたそうである。
僕 らが車へ戻る途中、藪の中を見ると、魚体が散乱していた。しかしそれらの魚体はイクラを取った後のものではなく、もともとイクラの無かったオスの魚のよう であった。そこでゆっくり立ち止まるほどの精神的ゆとりもなく、あたふたと車へ戻り、エンジンをかけ、車が動き出してから、ジワーっと冷や汗が出るのを感 じた。熊は怖いが、一番怖いのは、本当は人間かもしれない。
そんな事があった翌年の夏、スタロドゥプスコエ(旧・栄浜)の手前を流れるナイバ川が漁網で遮られている現場に遭遇した。ここは河口に近く、川幅は広く、その川幅を横断する漁網は目立っていた。運転手に聞いたところ、カネのある有力者が然るべき許可を取り、<堂々>と漁をしているとの事だった。
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川幅全体に網を張って鮭鱒の進路を遮断し、進路を遮断された鮭鱒は川岸に追い込まれ、そこでは巨大なスクリューポンプが回転し、次々に魚を吸い込んでいた。トラックに積まれた魚槽は短時間で満杯になり、待機している次のトラックと入れ替わった。こちらはカネを払い、許可をもらっているので合法との事。違法と合法、どちらも網で魚の進路を遮断する方法に違いはないが、合法のほうが効率は良いし、規模も桁違いに大きいようである。産卵後の稚魚が海洋で成長し、周辺諸国の漁業資源となる鮭鱒の生態系を考える時、外野席からの余計なお節介かもしれないが、このような漁法に問題は無いのか多少心配になった。杞憂であれば良いのだが。
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Samovar・記 |
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