アムール川中流域(ゼア川、ブレイ川)周辺

2003年の初夏、3年ぶりにブラゴベーシェンスクを訪れ、
この付近でアムール川に注ぎ込むゼア川、ブレア川の川辺に立った。
ブラゴベーシェンスクはアムール州の州都であり、現在の人口はおよそ23万人である。
この町は1858年に建設が始まった。
川を挟んで、対岸には中国の黒河市(ヘイホー)があり、毎日の定期船で結ばれている。

(写真をクリックすると大きなサイズになります。)



《ブラゴベーシェンスクの駅》
ハバロフスクからの列車はシベリア鉄道沿線の
ベロゴルスク駅から南の支線へ入り、
しばらくしてブラゴベーシェンスクに到着する。





《ブラゴベーシェンスク駅の外の様子》
ここでも日本車が多かった。


《パンと塩》
ロシアでは遠来の大切な客人をパンと塩で出迎えるのが昔からの習慣。

《対岸は中国・黒河市》
対岸の中国側は建設ラッシュのようだ。
3年前に来たときよりも建物の数が増えていた。
普段は中国人旅行者も多いが、今回(2003年夏)は、中国帰りのロシア人にサーズ患者が発生したとかで、中国からの入国が制限されていた。
《黒河市・都市計画》
2000年の訪問時に黒河市の市役所で見せられた黒河市の
建設モデル。その時には赤い印の付いた建物は
建設済みとの説明を受けた。

《アムール州郷土史博物館》
古いロシアを感じさせる落ち着いた雰囲気の建物である。
《シャーマンが儀式で使用するベルト》
(アムール州郷土史博物館に展示)
《アルバジン砦の模型》
(アムール州郷土史博物館展示)
アルバジンの戦い後に締結されたネルチンスク条約では、スタノヴォイ山脈(外興安嶺)からアムール川の支流であるアルグン川に沿いモンゴル高原に至るラインが国境と定められた。
《中国側が描いた清朝軍による
アルバジン砦の包囲、総攻撃の図》
(アムール州郷土史博物館展示)
アルバジン雑学情報
『アルバジン小史』

《アルバジンの戦いからネルチンスク条約へ》
ハバロフのアムール川方面への進出は、1649年になってからである。しかし、この地方のブリヤート・モンゴルの戦闘能力は侮りがたいもので、ハバロフのコサック軍団は苦戦を強いられたようだ。1650年代に入ってバイカル湖東岸を制圧したロシアは清朝と対峙するようになった。ロシアはこれまで制圧してきたシベリアの諸部族とは違う清朝の強大さを実感し、コサック兵に任せていたそれまでの進出から一転し、正規軍を派遣して、ネルチンスクとアルバジンに砦を築いた。清の康煕帝はこの事態に対し、遠征軍を派遣し1685年にアルバジン砦を攻め落とした。清の軍事力を目の当たりにしたロシアは国境問題を武力ではなく交渉で解決する方向に方針を転換し、清もそれに応じる姿勢を示し、ネルチンスク条約へと至った。清朝がヨーロッパ列強と締結した最初の対等条約だったそうだ。

《シャーマンの衣装》
アムール州郷土史博物館で見かけたシャーマンの衣装。
毛皮に多数の鉄片が飾られた衣装を着たシャーマンの
姿を想像すると、何だか鬼気迫るようなものを感じた。

《狩猟用のワナ》
帝政時代のロシアでは多くの毛皮商人がシベリアをめざした。
(アムール州郷土史博物館展示

《ブラゴベーシェンスクのロシア正教の教会》
こぢんまりとした美しい教会だった。
中をのぞいたら、中国人旅行客の一団がいて、僕らを見て日本人だと言っていた。中国人にはすぐに見分けがつくようだ。
《シベリア鉄道沿線の町であるベロゴルスクの風景》


《ブレヤ川の川辺で》
この辺りのブレヤ川の流れは急で、釣りには向いていなかった。
車のボンネットはテーブル代わりになる。
どこへ行っても、車が止まれば、そこが野外宴席場だ。

現在この川には極東ロシア最大級の水力発電所が建設中。
完成予定は2006年だそうだ。
2003年6月に最初の1号タービンが起動し、小さな電力が得られた。
この水力発電所がフル稼働すれば、電力はウラジオまで送られ、
極東地方のエネルギー問題は一気に解決するそうだ。
余った電力は北朝鮮と中国へも売電されるそうで、
朝鮮への送電線工事も進行中との事。
《ノボペトロフカの発掘現場》
ブラゴベーシェンスクから南西へ130kmぐらい離れたノボペトロフカ付近の湖畔でマッカツ、女真族の住居跡、砦跡などを見学したり、ブラゴ教育大学考古学部長をリーダーとする数十名の発掘作業班の仕事を見学した。発掘現場では韓国からの考古学者も仕事をしていた。
《ボイコヴォの発掘現場にて》
発掘現場は野外実習を兼ねて学生たちが参加していた。
《地中から出てきた石像》
ノボペトロフカ付近の農夫が畑を耕していたら左の石像が出てきたそうである。農夫はこれを重し(漬け物石)として自宅で20年ぐらい使っていたそうだ。あとで考古学的に重要な発掘物だとわかり、役所へ提出したようだ。この石像は目が細く、モンゴル系の顔立ちをしている。
(アムール教育大学考古学博物館に展示)
アムール教育大学の史学文学部長からこの石像に関するご自分の研究論文をいただいた。拙い訳ではあるが、以下をクリックすると、翻訳したページへ移動する。アムール雑学情報
『アムール靺鞨文化の石像』
《アムール教育大学付属考古学博物館の展示品》
《ゼア川遠望》
ブラゴベーシェンスクから車でスバボドヌイへ向かう途中、ブラゴベーシェンスクから90km程離れたところにナタリーノ村がある。その先にある小高い断崖がゼア川の絶好の見晴台になっている。地図で見る限り、この辺の川幅はアムール本流よりも広く、水量も多そうだ。ここで車を止め、ゼア川の雄大な景色にしばし見とれた。
《ロシアのキノコ》
道端でキノコを売っていた。バケツ一杯が日本円に換算すると200円ぐらいだった。
Подосиновик, Белыйなど、上等な部類のキノコだった。これを買ってホテルのレストランで調理してもらったが、シェフは経験の浅い中国人で、期待していたロシア風キノコ料理とはならなかった。
《ムラビエフ自然公園》
園内には広大な湿地帯があり、
渡り鳥の生息地としても有名であり、
日本の丹頂鶴も生息している。
冬の到来とともにここからも多数の渡り鳥が日本へ向かう。