イルクーツク
2005年8月4 - 6日


アレクサンドル三世の銅像
ボゴヤヴレーニヤ大聖堂(1723年建立)
最近修復作業が完了し、礼拝が行われている。
ロシア国定建築記念物に指定されている。

以前に何度かイルクーツクを訪れたが、この像は無かったはずである。しかし、1908年に建てられた像だとの事。その経緯を追ってみた。 
<その詳細>

バイカル湖から流れ出るアンガラ川がバイカル湖から66km離れたところで、イルクート川が流れ込んでいる。イルクーツクは、この合流点付近のアンガラ川右岸(イルクート川の河口の反対側)に建設された町で、その後、町はアンガラ川両岸に展開する都市へと発展した。2004年度の人口は58万3千人である。イルクーツクはシベリア開拓時代の1661年、木造の砦として建設された。当初、町は近隣のブリャート、ヤクート、エヴェンキとの取引(後には中国)や、手工業で発展していき、1686年には市に昇格した。ロシアによるシベリア征服後、イルクーツクは中国、モンゴル、ヤクーチヤ、カムチャッカ、アラスカへ向かう交易路の要衝だった。この町へシベリア鉄道が開通したのは1898年だった。国内戦当時は、長期間にわたりコルチャーク提督が指揮する白軍の支配下にあった。コルチャーク提督は1920年2月にイルクーツクで銃殺刑となっている。革命後、イルクーツクは東シベリアの中心都市となり、1937年からイルクーツク州の州都である。

参考
コルチャーク提督(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)


スパスカヤ教会

スパスカヤ教会(1710年建立)二階建ての教会は石造りとしては東シベリアで最も古く、隣に並んで建つ鐘楼は1762年に建立された。鐘楼の1〜2階部分はイルクーツク郷土史博物館の別館として利用されている。5階が鐘突堂で、ここからの眺望は良い。このスパスカヤ教会もロシア国定建築記念物にしてされている。


最上階の鐘突堂からカトリック寺院が見えた。

東シベリア鉄道管理本部

イルクーツクはシベリアのパリ言われているそうで、多くの古い建物が保存され、町の景観も良い。
東シベリア鉄道管理本部
シベリアの豊かな天然資源を運び出すのに鉄道は必要不可欠であり、この立派な建物の外観がロシアにおけるシベリア鉄道の重要度を示しているようだった。
州立ドラマ劇場(1897年建設)


州立ドラマ劇場


ホワイトハウス

ホワイトハウス(1804年建設)
1804年にシビリャコフという商人によって建てられ、1830年代に東シベリア総督の官房として買い上げられた。ロシア革命当時はここにシベリア中央執行委員会があり、建物は1917年12月に赤軍と白軍との激戦にさらされ、大きな損害を被った。修復作業後の1918年10月、ホワイトハウスにイルクーツク総合大学が開校した。現在はイルクーツク国立総合大学学術文庫として利用されている。


革命前に建てられた旧ロシア・アジア銀行の建物で、現在はキーロフ地区病院


旧ロシア・アジア銀行

郷土史博物館(建設期間は1883年〜1891年)
イルクーツク博物館の歴史は古く、1782年にロシアで4番目の博物館として設立された。1879年にイルクーツクで大火が発生し、多くの木造建築が火災に見舞われたが、イルクーツク博物館の木造建築も多数の収蔵品と共に焼失した。
この建物は東シベリアで最初の学術研究機関であったロシア地理学協会東シベリア支部としてモーリタニア様式で建築された。中にはシャーマニズム、シベリア原住民の風俗や生活品、シベリア開拓史に関係する資料などが展示されている。
イルクーツク国立大学学術文庫のホームページ


青少年劇場(1860年から1907年にかけて建設)
何も知らずに古そうな建物をカメラにおさめたが、後で確認してみたら由緒ある建物のようだった。
この建物は長期にわたり増改築を繰り返し、所有者も変わっていった。初期にはホテル、レストランなどとして利用されていたが、第一次世界大戦中は軍隊を分宿させていた。ロシア革命当時には集会場所として利用され、流刑から帰還した活動家たちも演壇に立った。コルチャーク政権の会合場所となったり、ソ連軍の司令部として利用された時期もあった。建物の劇場部分には映画館、コンサートホールがあった。長期間にわたりイルクーツクの歴史を見てきた建物であるが、1990年に歴史的記念物として国家保護の対象になった。現在は青少年劇場、何軒かの商店が入っている。

イルクーツクで泊まったホテル

ホテル「アンガラ」三つ星
築後30年の古参ホテル。ロケーションは良いが、古い内装の割には宿泊料金は日本のビジネスホテル並み。ホテル内レストランの料金も高い。
ホテル「アンガラ」の部屋の中
机、テレビ、電話があるが、国際電話は鍵番へ申し込んで国際回線を開けてもらった。


昨今のロシアはテニスブームだそうである。
日本でもお馴染みのシャラポワ選手など、テニス世界四大大会でもロシア選手の活躍がめざましい。
イルクーツクで見かけたテニス場でも子供達が熱心にプレーしていた。





イルクーツク州立美術館
展示品の中核をなしているのは19世紀末に当時のイルクーツク市長であった
スカチョフによって収集された絵画である。
美術館は1936年に郷土史博物館から分離、独立した。




東シベリア総督ムラヴィヨフ・アムールスキーの肖像画
画家:K.E.マコフスキー 油絵177cmx137cm 1863年作
海軍将校の軍服に身を包み、アムール州の地図に寄りかかっている総督は、教育があり、エネルギッシュで真の愛国者と見なされていた。1848年、農奴制廃止令が発令される17年前にムラヴィヨフはロシアの総督の中で最初に農奴解放問題を提議し、皇帝ニコライ一世はそれに憤激し、「リベラル派であり、民主主義者」との評価を下した。
乞食の女の子
画家:I.E.レーピン 油絵73cmx50cm 1874年作
1874年、画家レーピンはフランスで夏を過ごしていた。ヴェレーに住み、ノルマンディーにあるこの小さな町の郊外でフランス人の女の子に出会った。その時の作品であるこの絵は、スカチョフがレーピンのアトリエを訪問後、1880年代の初めにスカチョフのコレクションに加わった。

美術館の訪問は中国週間の時だった。館内に中国の絵や彫刻も並んでいた。
聞いてみたところ、ここの美術館には中国の絵画、彫刻、陶器、装飾品などが約1500ほど保管されているとの事。そこの中から選んだものが展示されていた。
集団肖像画で題名は「先祖」
16〜17世紀頃の作品(絹地、鉱物染料を含んだ糊絵の具)
作者:不詳
絵の横にあった露語の説明文には、「中国人は第一に天に感謝し、
それから先祖に感謝する。」と記されていた。

年賀に使われた絵(右上)とか、
三国志をテーマにしているような絵(右下)も並んでいた。




タリツイ(建築・民俗学博物館)
イルクーツクの郊外に17世紀から19世紀にかけての建築物や民俗学的収集品を展示している博物館がある。
広い敷地の中に実在していた建築物を集め、復元させている。
建物の中にはその時代に使われた生活用品、家具、農具、武器などが展示されていた。



イリムスク砦


18世紀初頭のイリムスク管区


ロシア教会


カザン小礼拝堂


砦内に装備された鉄砲


19世紀末〜20世紀初頭の
既婚農婦の飾り帽
(更紗、麻、編み紐などが使われた。)


土産物店
片言の日本語を話す人もいた。


土産物店
そばを通ると笛を鳴らしたり、
商売熱心だった。



ホテル「ルーシ」で食べた夕食


イワシの塩漬け
ウオッカに合いそうである。


ワラビやキノコの入った前菜
キノコが瓶詰め品なのがイマイチ

定番スープ
サリャンカ


どこにでも有りそうな
最もオーソドックスな料理
なぜかいつもキュウリは大きい