
《ナルディ》
日陰のテーブルでナルディ(サイコロゲーム)を楽しむおじさん達。熱中しているのはご年配のおじさん達が多い。
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《街頭の焼き肉屋さん》
街角や市場など、人々が集まるところで見かけるのが左の焼き肉装置だ。この装置では挽肉を金串で焼いたカバブを売っている場合が多かった。
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《子供たち》
通りで見かける子供達は屈託がない。外人がカメラを持っているとわかると写真を撮ってくれとせがまれる。知っているだけの英語の単語を何回も繰り返し、僕ら『外人』と必死にコンタクトを試みていた。
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《二歳ぐらいの坊や》
思わず抱き上げたい衝動にかられるほどこの子はとても可愛かった。写真を撮りおわったら、そばにいたおばあさんが『写真を撮ってもらって良かったね。』と坊やに言っていたが、その後、会う機会が無くて、写真は渡せないでいる。
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《市場のリンゴ売り》
愛想の良い市場のリンゴ売りのお兄さんたち。アルメニアの果物は味が良い。秋に多く出回る果物はブドウとリンゴ。日本人だとわかったら、リンゴを何個もプレゼントしてくれた。
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《床屋さん》
ここはハイカラな床屋さんだった。アルメニアでは散髪代金が500ドラム(約100円)だが、ここは美容院も兼ねており、洗髪もしてくれサービスも良かった。代金は1500ドラム(約300円)
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《洞窟の喫茶店》
ノラバンクという山奥の寺院へ行った帰路、洞窟を利用した喫茶店を訪問し、アルメニアコーヒーをいただいた。店のご主人の話では、この洞窟でモンゴル軍の矢じりを見つけたとの事。
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《山村のレストランで》
人里離れた山道に一軒のレストランがあった。看板もなく、僕にはそこがただの民家のようにも見えた。ここで奥さんが作った魚料理とご亭主の作ったバーベキューをいただいた。写真は彼らの子供でとても可愛かった。
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《子供の勉強をみてやる》
学校の宿題をみてやっていた。算数のようだった。
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《美男子》
体育大学へ通うサーシャはサッカー選手である。ワールドシリーズでの日本チームの活躍を知っていて、中田選手が好きだとの事。親思いの若者だった。
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《家族経営の食堂》
ちょくちょくお世話になっていた家族経営の食堂。左から曾おばあさん、お母さん、おばあさん、僕チャンの四代のファミリーと親戚のおばさん。みな親切で温かい人々だった。
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《美女》
エリザは工業大学でバイオテクノロジーを専攻した才色兼備のお嬢さん。自分の専門に合った仕事が無く、現在はある会社の社長秘書をしている。
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《噴水で泳ぐ子供達》
アルメニアの夏は暑く、日差しは強い。レストランの前にあった噴水がプールになっていた。
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《水飲み場》
エレヴァンで利用されている飲用水は地下水だそうだ。人々は生水をそのまま飲んでおり、僕も飲んでみたが、大丈夫だった。味も悪くはないが、ジェルムクという銘柄のミネラルウォータもよく売れている。
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《聖歌》
教会では毎日曜日に礼拝式が行われる。写真は聖エチミアジン教会で聖歌を歌う女性達。キリスト教信者でなくとも教会で聖歌を聞いていると何だか心が和んでくる。
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《半分寝たような顔の少女》
昼下がりの広場をおばあさんに手を引かれた少女が歩いていた。たった今、目が覚めたばかりのような顔をして、僕の方をじっと見ていたのが印象的だった。
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《コピー屋さん》
市内のあちこちにコピー屋さんがある。たいがいコピー機一台を置いただけの小さな店構えで、料金は一枚10〜20ドラム(2〜4円)。ここではFAX送信サービスもやっていた。
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《指の運動》
左の写真は一見して数珠に見えるのだが、指の運動をするためのものだった。けっこう流行っているようで、これをいじっている年配者をよく見かけた。
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《親切な女性達》
アララト山の眺めの良いホルビラップを訪れた際、綺麗なベンチを譲ってくれ、汚れたベンチへ移動した現地の女性達。その上、初対面なのにアルメニアコーヒーを作ってご馳走してくれた。 |
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《泣き続ける人》
ナゴルノカラバフをめぐるアゼルバイジャンとの戦争は記憶に新しい。『スプハチ』という日本のお盆に相当する日に墓地へ行ってみたら、泣き続けているご婦人がいた。最愛の息子を亡くしたのだろうか。 |