キーロフスコエ村
キーロフスコエ村はトィモフスコエ地区にある。
トィモフスコ地区はサハリン州内では唯一の海岸線の無い内陸部の行政地区であり、
キーロフスコエ村はトィミ川沿いのトィモフスコエ盆地に位置し、冬は最も気温の下がる地域である。
ロシア人のトィモフスコエ盆地への来訪記録では、1852年の冬にボシニャク海軍大尉が犬橇で入ったのが最初だったようだ。
その当時は、このキーロフスコエ村辺りにはニブヒが住み、その部落の名前はキディモと言われた。
現在のトィモフスコエ地区のニブヒの総勢は200人程度であり、チル・ウンヴド村にまとまって住んでいる。
トィモフスコエ地区に最初にロシア人が定住し始めたのは1880年頃で、当時の村の名前はデルビンスコエ村と言い、
やがて現在のトィモフスコエ市へと発展した。現在のキーロフスコエ村は、このトィモフスコエ市から十数キロ離れており、
ここにロシア人が定住するようになったのは、もっと後だったと思われる。
しかし、それから百年余り、ロシア史にも大きな出来事があり、この小さな村も、その都度、何らかの影響を受けてきたのではないだろうか。
チェーホフが来訪した当時のサハリンでは、おそらく囚人の通り道だったろうし、ロシア革命以降は農業の集団化が始まり、
コルホーズとかソホーズに組み込まれただろう。また、ソ連軍が南樺太へ侵攻する直前には、前線基地として軍隊が集結していた時期もあっただろうし、現在では社会主義経済を棄て、市場経済へと大きく変化している。写真では小屋の壁に取り付けられたままのレーニンの顔が識別出来るが、まだ市場経済には完全に適応できていない住民たちの戸惑いを象徴しているような気がした。
しかし、小さな村の年季の入った古い木造の家並みから煙が立ち上る風景を眺めていると、
歴史に翻弄されながらも、しぶとく生きているロシアの人々の逞しさのようなものも感じられた。
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