ポロナイスク地区ガステロ村(旧敷香郡内路村)
 ガステロ村は日本統治下だった戦前は、敷香郡の内路村と言われた場所である。
ここからポロナイスクへ向かう基幹道路から分かれ、間宮海峡側の町であるシャフチョルスク(旧・恵須取町)へ通じる道路(写真)がある。
その道路は戦前の日本が建設し、当時の鉄道省が管理し、内路と恵須取の頭文字を取って、内恵道路と言われていた。
この道路は現在でもサハリン島中央部の東西の海岸線を結ぶ重要な道路となっている。
1941年当時の内路村の人口は4528人で、2002年でのガステロ村の人口は1107人である。
通りかかった時の村には寂れた雰囲気が漂っていたが、近年のサハリンプロジェクトで、ここに大きなBooster Station(昇圧ステーション)が建設されている。
 ちなみにガステロとはソ連軍のパイロットだった人で、ノモンハンでの戦場やフィンランド戦争にも参加した。
その後の独ソ戦で、1941年6月26日、戦場へ飛び立ったガステロは乗っていた爆撃機(ДБ-3Ф/Ил-4)が被弾し、
炎に包まれ、墜落しながらも敵陣地へ体当たりし、死してソ連邦英雄の称号が与えられた。
サハリンにはあまり関係なさそうだが、この村にはこのガステロの名が付いている。